天宮の価値観、ラクロアの価値観、ネオトピアの価値観、ダークアクシズの価値観 その一

SDGFの奥深いところは、主役が善だから勝ったというわけではないというところだと最近ふと思った。
敵が悪いことをしたからその敵は罰せられるべき、というので概ね決着がついている。

わかりやすいのは天宮戦。これはほぼ戦国時代で、SDGが介入すればそれは内政干渉
そして別に元気丸にも武里天丸にも騎馬王丸にも正義があったわけではない。
騎馬王丸は天下統一のために戦乱を起こす。その目的は自分がトップにたつこと。
武里天丸はそれに対抗できた武将。もっとも戦争なのでどちらにも殺した殺されたはあったはず。少なくとも兵士は作中で死んでいる描写が見られる。
元気丸は母親を捨てた騎馬王丸を倒す、この一点のために動いている。もっとも、旅をともにした仲間たちを守ろうとする意思は芽生えていたようだ。これは虚武羅丸の涙のエピソードでわかるし、シュウトと姫の安否を気にしてることからも伺える。
放映当時、爆熱丸の「元気丸が持っていた資格をお前(騎馬王丸)は持っていなかったということだ」という台詞は納得いかなかったが、それは結局「敵に対して対等に接する」(シュウトと将棋とかね)が駄目なんじゃなくて、「部下や知り合いを駒にしない」というのが重要だったのでしょう。

こうして漁夫の利的に武里天丸派閥が天宮を統治することになるわけですが、統一さえできれば*1騎馬王丸でもよかったはずではあります。でも騎馬王丸は悪役扱いでラクロアへ島流し。いや名目上は留学ですが、敗将としてはそうせざるをえなかったっぽい雰囲気があります。

*1:無論その後のダークアクシズ戦に勝たなければなりませんが。