シリーズ物における「終わり」の存在

今月のガンダムエースEvolve../7エンドレスワルツ後だと書かれていました。まあSATANAS載せたダムエーですからいちいち気にしてたらきりがないんですが。




このEvolve../7(以下EV7)が公開される前は、ガンダムW世界の最後の話はEndlessWaltz(以下EW)でした。EWのラストで「その後の歴史にモビルスーツは登場しなかった」とナレーションが流れたのです。しかし、そのせいで作品世界の自由度が低くなって面白い作品が作れなくなったかというと別にそんなことはありませんでした。新機動戦記ガンダムW BATTLEFIELD OF PACIFIST(コミックボンボン)FISTや新機動戦記ガンダムW BLIND TARGET新機動戦記ガンダムWエンドレスワルツ最強プレイングブック (ヤングセレクション)収録の「ティエルの衝動」はTV版とEWの間の話として作られましたが、とくに不自由そうな印象は受けません。また、G-UNITはTV版の裏で起こっていた話として描かれています。辺境だったり裏話だったりなのでMSの性能とか好き放題です。



顧みるとガンダム作品はその半分以上が「スキマ埋め」か「本編の裏話」(以降この二つを「穴埋め」と呼びます)で出来ています。1stの裏話としてMSVができ、流石にそれだけでは商品展開的に足りないのでZができ、そのままノリでZZができ、最後に逆シャアアムロとシャアの物語を「終わらせ」ました。ここまではMSV以外穴埋めでない新作です。ここからスキマ埋めが本格的に始まります。0080、センチネル、0083、08小隊はその系譜といえるでしょう。
一方、アムロとシャアの物語が終わっても新作をきっちり作ろうという意思はくじけませんでした。サンライズの、なのか富野監督の、なのかはよく知りませんが。そして出来たのがF91、Vでした。

…力尽き。追記します。間違いなどありましたらコメントください。